テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第79回は、犬好き、旅好き、フォーク好きでおなじみの水野麻里さん。

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昭和の子供

水野麻里さんの写真
水野 麻里
放送作家
日本放送作家協会会員

10円玉を握りしめて、駄菓子屋へ。
毎日お小遣いは10円だった。日払いだ。
駄菓子屋に並ぶ、色々なくじ。様々な毒々しい色のお菓子のどれもが子供の心には、魅力的だった。どれにしようかと、めっちゃ迷って迷って、5円のくじを引き5円の駄菓子を買う。

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幼稚園の頃から1日10円のお小遣いをもらうようになって、たぶんそれは小学校3年くらいまで。その後は1週間に100円になった。

私には、年子で双子の弟がいる。私は、この双子の弟たちを引きつれて毎日駄菓子屋や実家のすぐ裏にあった市場内のお菓子屋に行った。

お菓子屋のお菓子も、5円や10円で、クッピーラムネとか、サイコロキャラメルとか。
硝子のケースの中には、おかきや落花生やかりんとうが入っていて、それらは大人は、グラムいくらの量り売りで紙の袋に入れてもらう。

だけど、私たち子供は「これ、5円ください」っていう感じで、指さすと、そのお菓子を5円分袋に入れてくれていた。今思うと、適当にほとんどサービスでやってくれていたのだと思う。
「ねじねじのお菓子」って呼んでいた、マカロニみたいにねじねじになったかき餅みたいな揚げたお菓子が好きでよく買っていた。その市場の中の肉屋のコロッケもよくおやつに買っていた。1個5円だった。

トラリピインタビュー

昭和40年代前半の名古屋のど真ん中の子供時代、お金の使い方は自然に身についていった。今にして思うと、うちの親はうまく子供たちにお金との付き合い方を教えてくれたなと思う。貰えるお小遣いの中でやりくりをするのは当たり前だと、私も弟も信じて疑わなかったし、お小遣いで買えない額の物は、誕生日に買って貰えるのでそれで良しと思っていた。でもまぁ、それはうちにそこそこ経済的に余裕があって、生活に困ることも食べる物に困ることもなかったお陰かもしれないけど。

両親から受けたお金の教育のイメージ
「うちの親はうまく子供たちにお金との付き合い方を教えてくれた」と振り返る水野さん(写真はイメージです)

お金教育

昭和の子供も、大人になって姉弟それぞれが三人三様の人生を今はあゆんでいるのだが、子供の頃から、うちのお金に関する教育は一貫していた。それは、むやみに子供にお金をくれたりしないこと。お金が欲しい理由が親に通れば、それは貸してもらう。そして、お小遣いやアルバイトで稼いだお金で、きちんと返済する。返済計画まで提出した。大学まではお金を出してくれたけど、名古屋の家から通える所なら、私立でもOKだけど、下宿しなければならない所なら、国公立しかだめ。自動車の運転免許の教習所の費用は出してくるのは10万円まで。当時は仮免で落ちると10万円では収まらない。その分は自分で出す。

とまぁ、そんなこんなで、お金に関して、きちんとルールができていた。弟の一人は大学で一年ダブってその分の授業料を親に借りて、返済したし、私の離婚の時の弁護士費用も親に借りた、まだ駆け出しの放送作家時代の事で、20万円ほどのそのお金が工面できなかった。もちろんそれも返した。

そして、もう一つこれはルールではないけど、家訓みたいなものがあった。それは、「親以外の人と、お金の貸し借りは絶対にしない」というもの。特に友人間。貸しても借りてもその人間関係はそこで終わりだというのだ。

これまで書いてきたこんな育てられ方が一般的でないことは、育っていくにつれだんだんと知っていくのだが、三つ子の魂百までで、私たち姉弟3人はお金に関してのトラブルも、さらには経済的な不足もなく、現在に至っている

お金を借りるイメージ
「親以外の人と、お金の貸し借りは絶対にしない」は水野家の家訓(みたいなもの) (写真はイメージです)

そして、数年前父に次ぎ母も亡くなって、名古屋の実家も処分して遺産相続の時の事だ。母の死因は事故で、裁判になっていた。私は母の成年後見人だったので、寝た切りになっていた母の財産を管理していた。相続の件で後見人の私に後見監督人という、また他の弁護士さんが私自身について、私が相続財産を勝手に動かさないように監督されるということになった。

でも、結果なんのトラブルもなく、弟たちも、私を疑うことなどこれっぽっちも無く、相続は滞りなく終わった

その際の、後見監督人の先生が言った。
「相続でいっさいまったく揉めなかった一枚岩のご兄弟を見たのは、私も長く弁護士していますけど、初めてです」

私には子供がいないが、今、弟は息子に、私たちと同じお金教育を施している。

次回は脚本家の待田堂子さんへ、バトンタッチ!

是非聞いてください!

「まりまり&ホタルの夢見る頃はすぎたけどさ」
FM熱海湯河原にて(79.6Hz)  毎週日曜日の18時~19時の生放送
YouTubeでもアーカイブでお聴きになれます
YouTubeはこちらから
「まりホタ」で検索してください。

水野麻里オフィシャルHPはこちら
https://mizunomari.jimdofree.com/

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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