テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第88回は、TVドラマの名台詞「同情するなら金をくれ!」でおなじみの脚本家、いとう斗士八さん。

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57円って!?

いとう斗士八さんの写真
いとう斗士八
脚本家
日本放送作家協会会員

明日からゴールデンウィークが始まるというのに、ぼくの財布の中には57円しか残っていなかった。
今から四十数年前、希望の大学に合格したぼくは、18年間暮らした故郷を離れ、人生初の一人暮らしを東京で始めた。仕送りがいくらだったか、正確な額は覚えていないけれど、家賃と水道光熱費を払っても尚、散財しなければ楽に暮らしていける金額を親からは送って貰っていた。だが……散財してしまったのだね、ぼくは。

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親との取り決めで仕送りは毎月20日に振り込まれることになっていたから、たった十日足らずでそのほとんどを使い果たしてしまったことになる。
今と違って銀行は暦通りに休みを取る時代。銀行に行って残ったお金を下ろすことも出来ない。例え営業していても口座には数百円しか残っていなかったけれど……。

さて、次の仕送りまでどうやって生活しよう?
いや、とりあえずゴールデンウィークをどうやって乗り切ろう?
ぼくは、手のひらに載っけた50円玉1枚と5円玉1枚と1円玉2枚を見つめて考えた。
実家に電話して助けを求めてみるか? いや、そんなことをしたら57円はすぐになくなってしまう。その頃、部屋には電話を引いていなかった。誰もが携帯電話を持っている今と違い、一人暮らしの部屋に電話を引いている学生は少数派だった。だから、実家に電話をするには公衆電話を利用するしかなかったのだが、その頃、故郷に住む親と話せる時間は10円使って約1分だった。結局、ぼくが出した答えはこうだった。

“ま、なんとかなるだろう”

こんな時のぼくはいつもこうだ。最終的には、“ま、なんとかなるだろう”と思い至るのである。その夜、あれこれ考えるのをやめたぼくは、深夜ラジオに耳を傾け、陽が昇る頃に眠りに就いた。

次の日、太陽が隣の家の屋根を越え、漸くぼくの部屋の中を照らし始めた頃、ドアをノックする音で目を覚ました。また警察か、と思った。一人暮らしを始めてすぐの頃、目覚まし時計のアラーム音をガス警報器の音と勘違いした近隣住民が警察に通報し、多数の警察官がぼくの部屋にやってきたことがあったのだ。ドアを開けたらまた数台のパトカーが停まっているんだろう。まったく迷惑な話だ。そう思いながら、まだ開けきらない目でドアを開けると、そこに立っていたのは故郷にいる筈の母と姉だった。

長男であるぼくと初めて離れ離れに暮らすことになった母は、仕事が休みになるゴールデンウィークを待ち、運転免許をとってまだ数年の姉に車を運転させ、東京まで逢いに来たのだった。母は笑みを浮かべ「まだ寝てたのかね?」と方言丸出しの言葉を掛けてきた。可愛い息子、可愛い弟との久しぶりの再会に母も姉も喜んでいるようだった。けれどぼくに再会の喜びはなく、これでお金のある普通の生活が送れるという喜びしかなかった。

アパートのドアが開くイメージ
ノックの音で目を覚まし、ドアを開けると母と姉が立っていた

危機に陥ると救いの手が差し伸べられる人生

あの時、母は何故ぼくに逢いに行こうと思ったのだろう。もう亡くなってしまった母に確認することは出来ない。虫の知らせとでも言うものを感じたのだろうか?

実は、ぼくの人生には度々こういうことが起こる。経済的にもうダメかと思われる危機に瀕した時、誰かが手を差し伸べてくれたり、思わぬお金が入ってきたりするのである。

20代後半、アルバイトを辞め、ライター1本で生活するぞと決めた時も、何も仕事がないまま1年が過ぎ、アルバイトで貯めたお金が底を尽きそうになった頃、先輩が仕事を紹介してくれた。その時に知り合ったプロデューサーのお陰でその後の仕事が続いていき、今のぼくがある。

何故、もう崖っぷちと言う時になると、幸運なことが起こるのだろう?
自分の人生を振り返り、考えてみるが、結局そういうもんなのだろうという結論しか出てこない。谷があったら山があり、陽が差せば雨が降る。それが人生なのかもしれない。

でも“ま、なんとかなるだろう”という境地にはそう簡単には達しないのが普通のようだ。
28歳になる息子は、こんなぼくのことを『楽観視の達人』と言った。このエッセイを書くことになり、「お前の父は何の達人だと思う?」と訊ねてみた時の答えがそれだ。
息子はどうやらそんな父のことを半ば呆れた目で見ているらしい。

救いの手と希望のイメージ
崖っぷちまで追い込まれると、いつも幸運なことが起こる

何故今、こんなことをつらつらと書いているのかと云うと、ぼくは決して『マネーの達人』と呼ばれる人間ではないからだ。
“宵越しの金は持たぬが信条”なんて言えたら格好いいのだけれど、そうではない。ただただ、お金が入ると後先考えずに使ってしまうダメ人間なのである。

ぼくが幼い頃に亡くなった父がそういう人間だったらしい。
父が始めた商売を引き継ぎ、店を大きくした母はぼくと姉によく言っていたものだ。
「お父さんが生きてたら、こんな生活は送れなかったかもしれないからね」と。
とにもかくにも父の散財癖を遺伝の法則に逆らうことなく引き継いだぼくは、お金を使い果たしてしまう度に“さて、どうしよう?”と考え、“ま、なんとかなるだろう”という答えを出すルーティーンを今も繰り返している。

思い返せば「『金は天下の回りもの』が座右の銘だ」と言っていたこともあったっけ。

こんな父を持つ息子が今月結婚をし、家を出て行くことになった。お前の祖父から父に引き継がれた散財癖がお前には引き継がれていないことを祈る。でも、遺伝だからな……。
どうか、幸福な人生を送ってくれ。ぼくは今、それだけを願っている。
“ま、なんとかなるだろう”と思いながら。

次回は金子成人さんへ、バトンタッチ!

是非、観てください!

先生業を始めて10年ちょっと、教え子達(と言っても勝手に育ってくれた子達ばかりです)が何人かデビューし、仕事をするようになりました。
リンクを張った作品に関わっているのは、教え子のひとり、皐月彩さんです。是非、観てあげてください。

皐月彩脚本担当「うちの師匠はしっぽがない

皐月彩シリーズ構成担当「もういっぽん!

皐月彩脚本担当「-50kgのシンデレラ

※もうひとり、最近若い子達に人気の「ダウ90000」の脚本担当、蓮見翔も教え子なので機会があったら是非観てあげてください。

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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