テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第171回は、劇団主宰・俳優から放送作家の活動を始めたカツオさん。年間600本の企画書を書くなど、自称・企画書渋滞系放送作家。

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歓喜からどん底につき落とされた男

カツオ
カツオ
放送作家
日本放送作家協会会員

2006年・秋。まだ“放送作家”としてデビュー前の自分(当時・26歳)に“1つの仕事”が舞い込んだ。「日本テレビの年末特番をやることになったから、参加してくれないか?」

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「マジすか! やった!」

学生時代からお笑いライブの作家の仕事を始めるも、まだテレビの仕事はしたことがなかった当時、ライブの仕事関係でつながりのあったテレビ局のディレクターが通した企画に、僕も参加させてもらうことになったのだ。「よし、コレで俺も放送作家デビューだ!」……そう思っていた。

初日の会議。僕はドキドキしながら人生初の日本テレビに向かった。会議室は忘れもしない“28プレ”だ。会議には「どんな有名な放送作家さんがいて、どんな会議をするんだろう」……心を躍らせながら入る会議室。しかし、現実は大きく違った。まず眼前に飛び込んできたのは20人はいたであろう、当時の僕と同じような“まだ名もなき若手作家たち”だった。今思えばイカゲーム作家。そして、そんな若手たちに囲まれるように王座のイスに座ってたのは、日焼けして黒光りし、髪型もビシッとオールバックをキメたプロデューサーと、見るからに仕事できそうなパキっと系のイケメンディレクターだった。

「なんだ、この光景は? なぜ、こんなにも俺と同じようお腹を空かせた野良犬たちがいるんだ……?」

答えは、次のオールバックPからの“通達”で全て明らかになった。

キミたちは“ネタ出し作家”です。今回やる特番のネタを出してもらいたい。1ネタ採用につき1万円お支払いします」

……そう、僕らは番組の方向性や中身を決めていく、いわゆる放送作家ではなく、番組内容に沿ったネタを出す“ネタ出し作家”だったのだ。で、その報酬が採用歩合制・1ネタにつき1万円だったのだ。

その番組の内容はというと「おもしろ語呂合わせ番組」。よく「What time is it now?(今何時?)」が「掘った芋いじるな」と覚える……みたいな、思わずクスっと笑ってしまうような語呂合わせを、旬な芸能人たち出演で映像でビジュアライズ化していく雑学ネタ系のバラエティだった。「その語呂合わせネタ」を1ネタ1万で買うので、出してくださいという話だった。1ネタ1万……「10ネタ採用されれば……10万か……」

割りが良いのか、悪いのかわからなかったが、会議はその指令だけで15分で終わった。

たくさんの椅子のイメージ
会議室には、当時の僕と同じような“まだ名もなき若手作家たち”が20人以上、並んでいた

人生よ、動いてくれ……奇跡よ起きてくれ……

しかし、僕の考えは、“目の前の報酬”じゃなかった。

「この19人を追い抜かないと、放送作家として食っていけない」

おそらく当時、20人中20位の最下層の位置にいた自分は、少なからず、「この眼前の19人を抜いてぶっちぎらないと“放送作家”になれないんじゃないか?」という思いが溢れてきたのだ。このミッションの提出期限まで1週間。日テレを後にした僕の心は燃えていた。

当時、僕の頭の中には「勝利への方程式」が浮かんでいた。「おそらく、他の若手作家の出すネタの量は、A4用紙1~2枚分くらい。その量をぶっちぎりで上回り、さらにネタも面白ければ、『ネタ出し作家として終わらせるのはもったいない』となって、お呼び出しがかかるんじゃないか?」と。

帰り道。僕は書店に向かった。語呂合わせを創作するには、英語などの発音や難しい漢字の情報が必要だからだ。確か1万円分くらい、たくさん本を買った。それから1週間、僕は家に籠った。1日中、机に向かい、語呂合わせを考えまくった。外国語の発音を聞いては、「コレはどんな日本語に空耳するかな?」とか……「この難しい漢字はどういう風に覚えたら書きやすいかな?」とか…他に仕事も無かったし、当時、僕の人生は、この語呂合わせにすべてを懸けるしかなかった

1週間後、僕は宿題を提出した。そのネタ数100ネタ。しかも、「もしかしたら100ネタくらい出してくる他の作家もいるかも……」と思ったので、その100ネタをすべて(このように撮ってくださいと)台本化して出した。そのページ数500ページ。しかも、シーンのイメージ写真付きで

ネタ出しのイメージ
1日中、机に向かい、語呂合わせを考えまくった

「人生よ、動いてくれ……奇跡よ起きてくれ……」

奇跡は起きた。すぐに電話がかかってきたのだ。電話の内容はもちろんこうだ。「キミのネタは面白い。しかもこの量は素晴らしすぎる! ネタ出し作家ではなく、今回、番組を作る放送作家として入ってくれ」と。忘れもしない渋谷駅近く、青山通りを渡る大きな歩道橋の上だった。

奇跡は起きたのだ

この時の仕事のギャラは15万円だった。それはそれで嬉しかったが、何よりもこの仕事で得ることができたのは、コネクション。お金よりも、このコネクションは大きく、その後の放送作家人生は、この番組で得たコネクションにより、大きく変わっていきました。

最後に…この時の作った漢字の語呂合わせを1つ。それは「其の(その)2匹の鹿が米を炊き(タとキ)1合」。この語呂を組み合わせると「麒麟」となります。

次回は脚本家の白石雅彦さんへ、バトンタッチ!

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