物理の学問において、世界的に高名な中村純氏。その実力は1997年に、「ハイパフォーマンス・コンピューティング」の領域で著名な賞、「ゴードン・ベル賞」を受賞したほどだ。また、中村氏は「日本パンフルート協会」の会長としての顔も併せ持つ。【第3回】では、中村氏の生涯の恩師ムルク先生との絆やパンフルートとの情熱的な出会いに迫る。

パンフルートと一人の物理学者~数奇な運命の出会い~【第2回】

中村純氏中村純(なかむら・あつし)
広島大学 情報メディア教育研究センター 名誉教授
大阪大学 核物理研究センター 協同研究員
一般社団法人 日本パンフルート協会 会長

<前回までのおさらい>
30歳にしてイタリアへ留学した中村さん。奨学金で月3万円を獲得するも、現地で生活苦に陥る。しかし、自身の人徳とイタリアの人情に助けられ、何とか苦難を乗り切った。そして、意気揚々と日本へ帰るも、なんといつのまにか職を失っていた!? さて、どうなる、中村さん!

中村さん、生命の危機にさらされながらベルリンの大学へ

ペリー 早稲田大学をいつのまにかクビになっていた中村さん……。さて、次の苦境はどう乗り切ったのでしょうか?

中村さん イタリアの時代に知り合った人から、突然電報が届きました。内容は、「ベルリンの大学へ移ることが決まった。お前も来ないか?」というもの。迷いはありましたが、とりあえず「行きます!」と返事をしました。携帯のない時代ですし、もちろん電報で(笑)。

ペリー そんな都合の良い展開があるとは! ですが、なぜ迷われたんでしょうか? 職がないときにそんなオファーを受けたら、即飛びつきそうなものですけど……。

中村さん 私が赴任した当時は冷戦中だったんです。まさに「ベルリンの壁」が建設され、ドイツは東西に分裂していた時代の真っ最中です。
一方、私が講師として赴任した『ベルリン自由大学』は、西ベルリンに位置します。この時代の西ベルリンは常に危険が伴っていたことを覚えています。
なぜならば、西ドイツは東ドイツ領土の陸の孤島でしたから。

ペリー ドイツの首都であるベルリン自体、東ドイツにありましたからね(西ドイツの首都は暫定的にボンに置かれた)。敵対する政府から四方八方から狙われているとなると、気が気じゃありません……。

中村さん ですから、西ドイツ側のドイツ人はあまり行きたがらないんですよ。「もしもソ連の戦車が西ベルリンの領土内に急に侵入してきたら」、「無理やり東ドイツ側に拉致されたら」。そんなことを考えると怖いですよね。

国境の壁冷戦時代にベルリンの東西を分断していた「ベルリンの壁」。ドイツはもともと同じ国でありながら、敗戦後の1949年からベルリンの壁が崩壊した翌年の1990年まで、「東ドイツ」と「西ドイツ」として国境が存在していました(写真はイメージです)

ペリー 生命の危険を感じながら研究をしなければならないなんて……。

中村さん よほど度胸のあるやつか、よほど変わったやつじゃないと、当時のベルリンに行きたがる学者なんていません。
ということもあって、当時のベルリンは、私のような外国人を積極的に雇おうという動きが盛んでした。東ドイツ側としても、国際問題も鑑みると外国人にはあまり手出しをしにくいですから。

ペリー 中村さんの今回の転職は、そんな政治的事情が関係していたんですね。

中村さん ですが、研究予算はかなり潤沢でしたよ! 元々、西ベルリンの存在意義は、「ショーウィンドウ」のようなものでしたから。

ペリー  「ショーウィンドウ」とは?

中村さん つまり、東ドイツ側に「どうだ! 俺たち西ドイツはこんなに栄えているんだぞ!」と見せつけるような意図もあって、西ベルリンは街並みも非常に豪華で、大学の予算も潤沢につぎ込んでいました。

ペリー じゃあ、研究者としては、図らずも研究に集中できる場所だったのかもしれませんね。

パンフルートとの出会いは突然に~ベルリン・ラブ・ストーリー~

ペリー さて、話は佳境に入って参りました。中村さんは、このベルリン赴任時代に、ついにパンフルートと運命の出会いを果たすこととなります。

中村さん ドイツは音楽の文化が日常に根付いています。「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」はご存知でしょうか? たまに来日することもあるので、日本でも有名だと思いますが。

ペリー ええ、もちろんです! ただチケットのお値段は高くつきますよね。確か末席でも、約2万円はしたような……。

中村さん 実は、ドイツでは、学生だと1000円もかからずしてチケットが購入できるんですよ。

ペリー いわゆるドイツ版の学割のようなものですか? かなり破格なお値段じゃないですか! でも、中村さんは確か学生ではありませんよね?

中村さん こっそり学生に買いに行ってもらっていました(笑)。僕は先生なので、一般価格で買ったら高いですから。
当時のドイツはかなりゆるいですから、別にばれませんでしたし、何の問題もありません(笑)。ここ、書いても大丈夫ですよ!
えーと、話を戻しまして……。破格なお値段でチケットが手に入ったということもあり、僕はシーズン中、毎週ベルリンフィルを聴きに行っていたんですよ。

「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」のコンサートホールドイツのベルリンに位置する「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」のコンサートホール。ここへ毎週通っていたという中村さんが個人的に羨ましい……。(写真はイメージです)

ペリー 中村さんは、とにかくオフレコがないですね(笑)。非常に助かります。

中村さん ベルリンフィルの講演で、いつも見かける友人がいたんですよ。彼も音楽好きでしてね。お互い音楽好きだということが分かり意気投合し、彼から、彼の出身であるルーマニアの民族楽器を勧められたんです。そして、私はその時に、とあるCDを貰いました。

ペリー それがパンフルートだったんですね。

中村さん ええ。その通りです! これが私とパンフルートとの出会いです。当時もらったCDは、なんと天才「ゲオルゲ・ザンフィル」が演奏しているもの。家に帰ってそのCDを聞いた途端、僕はショックを受けたんです。

ペリー それはどういうたぐいのショックでしょうか?

中村さん どう表現すればいいんでしょう……。うーん。うーん。
(約30秒、悩まれる)
そうですね、「楽器が、純粋に音のみで、こんなに深い音色を作り出すことができるんだ……」と呆然としました。
普通、楽器は音程を変えることで音色をつくるものです。もちろんバイオリンやピアノだって、音色以外にもタッチなどで深みを出すことは可能ですが、純粋に音だけで音色の違いを表すことって、ほとんど不可能ですよ。

太鼓の次にシンプルな構造の楽器、パンフルート

ペリー 大変恐縮ですが、私は楽器には疎いもので、なかなかイメージが難しいです……。それってつまり、「同じ一音でも、毛色の違う一音が出せる」ということでしょうか?

中村さん 毛色が違うというよりも……。よし、実際に聴いてみるのが早いでしょう!

(中村さん、パンフルートをカバンから取り出し、『故郷(ふるさと)』の演奏を始める)

ペリー (拍手をしながら)まさか生演奏が聴けるとは! ありがとうございます!

(中村さん、二曲目『ジュピター』の演奏を始める)

ペリー 出血大サービスですね! 2曲目お聴かせいただけるとは本当に光栄です。

中村さん 楽器の構造がいたってシンプルです。ご覧のように管がただ空いているだけなんですよ。これ以上単純なつくりをしている楽器は太鼓以外にないと言われているほどです。

ペリー 太鼓は本当にシンプル オブ シンプルですよね。言い方は悪いかもしれませんが、ただピンと張った皮を叩くという。

中村さん 多くの楽器は管に穴を空けて『ドレミファ……』と音階を付けています。例えば、フルートがその代表例ですよね。しかし、ご覧の通りパンフルートの管に穴は開いていません。

ペリー どうして一つの管に穴を空けて、もっとコンパクトな構造へと進化しなかったのでしょうか?

中村さん 進化しそこなったんですよ(笑)一つの管に穴を空けて音階を付けるということに気がつかなかったんでしょう。だから、管を横に限りなく増やすという方向性で音階をつけることしたんです。

パンフルートパンフルートはたくさんの管が横に並び、それぞれの管を吹き分けることで音階をつくっています

ペリー 2000~3000年前から存在するパンフルートですからね。誕生から数百年程度の新入りのフルートのほうが、楽器の構造に関してはアドバンテージがありますよね(笑)。

中村さん パンフルートの吹き方には独特な呼吸法があるんですよ。ただ息を吹きかけているんじゃないんですよ。横隔膜を上下させて身体全体を使うんです。

ペリー リコーダーみたいには簡単にいかないんですね。難しそうです……。

中村さん 大丈夫です。もし初心者の方には、呼吸のトレーニング方法からしっかりとレクチャーしますから。

ペリー さすがパンフルート協会の会長です! 頼もしいです(笑)。

スイスの新聞で偶然存在を知ったムルク先生。“憧れの人”から“生涯への恩師”になるまで

ペリー ベルリンでパンフルートのCDを聴き、自分も吹けるようになりたいと望んだ中村さん。そんな中、中村さんが師事したのはパンフルート界では有名人のムルク先生なんですよね?

中村さん はい、そうですね。ちょっと、時系列を整理しましょうか。僕はベルリンの大学へ講師として赴任しており、任期の6年間を無事にまっとうしました。また、やることがなくなってしまいました。(笑)

ペリー 中村さんに8度目の充電期間が訪れるのでしょうか?

中村さん いいえ(笑)。今回は、スイスのチューリッヒにいる知り合いに声をかけられましてね。「やることがないなら、うちに来ないか?」と誘ってくれたんです。そのため、次の赴任先は『スイス連邦工科大学』に決まりました。結局、研究員として半年ぐらい在籍しまたね。

ペリー イタリアの貧困時代以来、久しぶりのスイスですね。

中村さん またしても訪れたスイス時代のある日、私はとあるチューリッヒの新聞を読んでいました。そうしたら、そこにムルク先生が記事の中で紹介されていたんですよ。スイスでも日本同様にパンフルートは珍しい存在です。ですから、ざっくりと言いますと、「“パンフルート”という異国の民族楽器を、スイスで教えている“ムルク先生”」という内容が誌面でフィーチャーされていたんです。

ペリー 新聞で見かけたんですね。本当に偶然の出会いです。

中村さん 僕はもう次の日にはムルク先生に会いに行きました。ムルク先生は、日本でいうカルチャーセンターのような所で、多々あるクラスの一つとして、パンフルートを教えていたんです。僕はまだパンフルートについては、右も左も分かりませんから、そこの初心者クラスへ入れていただきました。そこから現在までムルク先生との付き合いは続いていますね。

中村純氏2ムルク先生の話を始めると生き生きした笑顔を見せる中村さん。師弟愛を感じます

ペリー 確かもう何十年もの付き合いなんですよね? ただの新聞の一記事に載っている存在から、ここまでの長い付き合いに発展するとは、なんともロマンのある話です。

中村さん 私はムルク先生のことを生涯の恩師と思っていますから。

スイスの駅のベンチで夜を明かした日々。ムルク先生のためなら国境も超えます!

中村さん スイスでの任期を終えて、僕はドイツのハイデルベルグ大学へ移りました。また研究員として雇ってもらったんです。

ペリー 今度はドイツに移られたんですね。ベルリンに次ぎ、2度目のドイツですね。ですが、ただ一つ問題が生じるのではないでしょうか?

中村さん ええ、お気づきの通りでしょう。スイスにいるムルク先生のレッスンを受けられなくなります。

ペリー どうやって乗り切ったんですか?

中村さん もちろん移籍後も、ドイツから通っていましたよ。週1回のレッスンなので、何とか……。

ペリー でも、遠いんじゃないですか? ドイツからスイスって、もはや国をまたがってますし。

中村さん レッスンは金曜の20時から始まります。だから僕は金曜日の14時にハイデルベルグを出発して、19時にムルク先生のいるチューリッヒへ着いていました。

ペリー 1時間前到着! 中村さんはさぞかし優秀で真面目な生徒だったんでしょうね。

中村さん レッスンが終わるとすぐ帰宅します。チューリッヒからいったん西に向かい、スイスとドイツの国境に当たるバーゼルという街まで戻ります。バーゼルには、確か22時頃に着いていましたね。

ペリー もうそろそろ日付が変わりそうですね。

中村さん そこからバーゼルの駅にあるホームのベンチで1日を明かします。

ペリー え?

中村さん 深夜になるとドイツ行きの電車がなくなります。ですので、明け方になるまで始発の電車を待たなければいけません。いつもバーゼルで乗り換えるので、ここで夜を明かしたものです。

明け方の駅のホーム中村さんはこんな風に駅のベンチで夜を明かしていたのでしょうか?(写真はイメージです)

ペリー なんだか終電を逃した人みたいです。中村さん、かなりのバイタリティがあるんですね。

中村さん 当時は若かったですし、まあ、何より仕方ないですから(笑)。結局家に着いたのは翌日の早朝ですね。ムルク先生のレッスンを1時間受けるためには、これくらいの犠牲はつきものです。

ペリー このハードなスケジュールを毎週こなしていたとは……。

中村さん ムルク先生は決して特別扱いするような方ではないですが、僕の熱意だけは認めてくれたんでしょう(笑)。

ペリー ムルク先生からしたら、異国の日本人がドイツから毎週毎週訪ねてくるわけですよね。「この人、変わってるな」と思わざるをえないというか……。

中村さん 1回4~5人程度のレッスンですからね。必然的に目立ってしまいますよね(笑)。

ムルク先生は怒ると怖い正義の味方。元不良たちを手玉にとった過去!?

ペリー 生涯の恩師とまで慕うムルク先生ですが、一体どういう方なんでしょうか?

中村さん パンフルートの技術だけでなく、その人柄も尊敬できるんです。基本的に穏やかな方ですよ。でも、ちょっとビックリするような一面もあります。

ペリー 例えばどんなエピソードがありますか?

中村さん 少し遠出して別の場所でレッスンをする機会もありましてね。そのときには、よく僕を車で乗せて行ってくれたんです。なんせ僕はドイツから通っているので、ムルク先生もその辺を気にかけてくださったんでしょう。

ペリー なんだか師弟関係っぽいです。

中村さん ムルク先生が運転する車での道中、別の車が急に割り込んできたことがよくあるんです。そうすると、いつもムルク先生は「お前は何をやってるんだ!!!」と物凄い迫力と剣幕で、目の前の車に怒鳴り込みにいくんですよ。ムルク先生は背が非常に高いですから、威嚇されるとさぞかし相手も怖かったと思いますよ(笑)

ペリー ムルク先生!? まあ、正義感が強い方なんでしょうか? わざわざ車から降りて激昂しに行くんですね……

中村さん 激昂というか、生徒を𠮟るような感覚といったほうが正しいのでしょうか……。冷静さを失っているわけでは決してないんですよ。悪いことをした相手が、たとえちょっと怖そうなお兄さんでも絶対に物怖じはしません。

怒る人こんな風に怒られると、「ごめんなさい」と低頭平身間違いなし。悪いことをした身としては当然ではありますが……。(写真はイメージです)

ペリー ムルク先生、かっこいいです。

中村さん なまじ迫力が凄まじいものだから、怖そうなお兄さんでも「ごめんなさい」と言って、すごすごと謝るんです。まあ、ムルク先生は昔教師をやっていたことがありますからね。

ペリー 先生だった過去があるんですか?

中村さん 小学校にある、問題児が集まるクラスを教えていたそうなんです。やんちゃな子というか、ちょっと不良な子というか。

ペリー じゃあ、人を𠮟る能力はかなり長けていそうですね。

中村さん ベテランかつ、かなり気が強くないとやっていけないと思いますよ。いやー、ムルク先生はかなり面白い方ですよ。

パンフルートの天才「ゲオルゲ・ザンフィル」と出会う

ペリー そういえば、中村さんが初めて聞いたパンフルートのCDでは、天才奏者の「ゲオルゲ・ザンフィル」が演奏していました。後に、実際にお会いすることはありましたか?

中村さん はい! ムルク先生の伝手で、なんと実際にあのザンフィルに会うことができたんです。僕がパンフルートを始めるきっかけとなったのは、ザンフィルのあの音色ですから。僕は一生かかってもあんなに美しくて深い音色は出せませんよ。

ペリー どこで憧れのザンフィルとお会いしたんですか?

中村さん ムルク先生がスイスでとあるグループレッスンを企画したことがあったんです。ヨーロッパ中のプロが集まるグループレッスンですから、かなり敷居もレベルも高いですよ。ザンフィルはそこに参加していたんです。

ペリー 中村さんもそのグループレッスンに呼ばれたんですか!?

中村さん いいえ(笑)。周りはプロばかりですからね。最初は見学させていただくつもりで、壁際から見ていたんです。そうしたら、ザンフィルに「君、後ろで何をやってるの?」と話しかけられました。

ペリー 急に憧れの人に話しかけられてドキドキだったんじゃないでしょうか?

中村さん そして、僕は「すみません……。一応許可をいただいて、見学させていただいております」と。

ペリー ザンフィルは怒っているんでしょうか?

中村さん いいえ! 「じゃあ、一緒に演奏しようよ」とザンフィルは優しくも言ってくださったんです!

ペリー ついていきたくなる先輩像ですね。

中村さん そこからザンフィルとの交流が始まりました。まあ、厚かましくもあるんですがね。

ペリー 憧れの人とそんな出会い方をして、親しい関係性にまで発展するなんて、またしてもロマンを感じるエピソードです。

中村さん 僕は、そのときにサインまでいただいちゃいました。これは僕の宝物の一つです。

ゲオルゲ・ザンフィルのサイン特別に見せちゃいます。パンフルート界のレジェンド「ゲオルゲ・ザンフィル」の直筆生サイン

楽しく生きようと思えば、いくらだって楽しく生きられる

ペリー さて、最後に一つだけ質問があります。人生の色んな苦境や困難を楽しく、そしていつも慌てず乗り越えてきた中村さんにこそお聞きしたいんです。

中村さん はい、何でも答えますよ。

ペリー 中村さんは、物理学でも高い功績をあげながら、「パンフルート」という生涯を捧げるほどの趣味をお持ちです。生涯というのは大げさじゃないように感じます。実際、パンフルートにお金も時間も熱意も費やしていらっしゃいます。つまり、何が言いたいかというと、今回の取材を通して、純粋に中村さんが羨ましく感じました。こんなことを感じるのはおこがましいですが……。

中村さん というと?

ペリー 人生でそこまで熱意を注げられるものに、普通はなかなか出会えないんじゃないかと思うんです。私の張っているアンテナが、中村さんのものよりも弱くて脆いだけかもしれませんが。

中村さん そんなことはないと思いますよ。それに、別になくたっていいじゃないですか。別にぼーっとしててもいいんですよ(笑)。

ペリー え、それはさすがに(笑)。

中村さん 幸い、日本は飢え死にしないような最低限の生活保障制度は整っていますよね。一応ですが。
話は変わりますが、僕、大混乱中のウズベキスタンだとか、いろいろと治安の悪い地域へ行ったこともあるんですよ。ソ連崩壊後に、ユネスコから教育支援に行くように言われたことがありましてね。
そういう所に行くと、本当に食べていけない人がたくさんいるんですよ。実際に、目の前にたくさん存在しているんです。

ペリー はい。

中村さん 日本は格差はあれど、今夜の食事にありつけないという人はあまりいないかと思います。極端かもしれませんがね。
生きていく中で、みんな色々と不満はあるでしょう。僕だってありますよ(笑)。

ペリー そうですね……。

中村さん 鬱屈してたって、ぼーっとしてたって、忙しくしてたって、何だっていいんです。楽しくやろうと思えば、いくらでも楽しく生きられるんじゃないでしょうか? 僕はそんな気がしています。

ペリー ありがとうございます。なんだか人生相談にも乗っていただいた気分です。最後になりましたが、中村さん、【第1回】~【第3回】までお付き合いいただき本当にありがとうございました。