独立後、自分の「強み」を模索
そして青森放送でアナウンサーになられたんですね。
樋田さん その頃は本当にいろいろな経験をしました。1日の中でも朝は報道、昼にバラエティ番組に出て夜はまた報道というように何役もこなして、そのたびに1日3回くらい服装を変えることもありました。地方局のアナウンサーは衣装代で給与が消えるというのが「アナウンサーあるある」でしたね。
だから現場ごとのキャラ作りといいますか、気持ちを切り替えるのがうまくなったと思います。それに、テレビやラジオの生放送もあるので、時間にものすごく敏感になりました。その経験が、起業してからひとりでいろいろな仕事をしなければいけないときに役立ったと思います。「何分以内にこれを終えなければ」という意識が常にあったので。
局アナからフリーになり、そこから起業にいたるまで、どのような思いがあったのでしょうか。
樋田さん 私が独立したのは28歳のときで、フリーアナウンサーは「できることが限られている」という実感がありました。私としてはそれまでの経験を生かして、いろいろな場所で活躍したいという思いがあったのですが、ほかにも同じようなフリーの人はたくさんいて、これが自分の強みだということも言えなかったので、これでは仕事がないのも仕方ないのかなと思いました。
ではどうすれば自分の仕事が必要とされるのか、社会貢献ができるのかと考えたときに、「アナウンサーの技術を、会社の社長の悩みを解決するのに活かせるのでは」と思い立ちました。それで会社を興して、話し方研修の教材を自分で作ったり、1日5~6件アポを入れて営業に行ったり、忙しく過ごしていました。
起業して2年目には、同じ思いを持ったアナウンサーが5人集まってくれました。新しいメンバーに対しても、私と同じように話し方の指導ができるように、アナウンサーを講師へと育成するための研修を、3カ月くらい毎週開いていました。そうして講師研修会を続けていくうちに、人気の講師とそうでない講師が明確になってしまい、話し方の講師とは別の形で社会貢献ができないかと考えて立ち上げたのが、最初にお話しした「女子アナ広報室」の仕事という流れです。
ネガティブなイメージを「かっこいい」に変えたい
アナウンサーに限らず、たとえばスポーツ選手などもそうかもしれませんが、ある専門技能を身に付けた人が、その技能を生かしたセカンドキャリアを歩むことは、なかなか難しいように思います。特に女性は、出産などでキャリアが止まってしまうことが今も多いので、御社の取り組みがひとつのモデルになるとすばらしいと思います。
樋田さん 最近思うのは、セカンドキャリアを築くのが難しいというのは社会制度に問題があるということ以上に、「本人の決め付けが強いのではないか」ということです。本当は発想次第でいろいろなことができるのに、時間がなくなったからできないとか、無理だと決めつけていたのは自分だったのかなと感じています。
昨年9月には「一般社団法人日本アナウンサーキャリア協会」を作りました。社会の役に立ちたいという高い意識を持つフリーアナウンサーは多いけれど、以前の私のように、何をしていいかわからないと迷う姿をたくさん見てきました。その高い意識と能力を生かしたいと思って、協会で勉強して、検定に合格すれば話し方研修の講師になれるという資格を作りました。
これは「アナウンサーが弟子を育成していく」というイメージです。いい教育を受けた人は、後輩にもいい教育ができる。そんな循環を作っていきればと思っています。
アナウンサーがセカンドキャリアとして話し方講師をしているのを、「売れなくなったから講師をしている」「かっこ悪い」という見られ方をすることもありました。それを「かっこいい」に変えて、女性が働き続けるロールモデルの集団になって、声や言葉で人を支える会社になりたいと考えています。