テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第76回は、歌舞伎座解説や音声ドラマを手掛ける齋藤智子さん。

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蕎麦が転じて、小銭となる。

齋藤智子さんの写真
齋藤智子
脚本家
日本放送作家協会会員

2016年から、歌舞伎の解説をするお仕事をさせていただくようになりました。
さすが400年の歴史、いま、ドラマなどの映像表現がやっているほとんどのことは、歌舞伎に盛り込まれていると気づいたとき、歌舞伎に対するドキドキがとまらなくなりました。

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たとえば、スローモーション(だんまり)、クローズアップ(見得)といった技術的な表現から、ヒーローの描き方や型(ロール)としての役づくりまで、歌舞伎から学ぶことは数えきれません。しかもネットもパソコンもない時代に、こんな緻密な台本を紡いでいたんだと思うと、「奇跡じゃん」と驚きます。

ということで、「お金」というお題で思いを巡らせたところ、大入(おおいり)という言葉が浮かびました。

大入というのは、興行用語だそうで、ご説明するまでもなく、お客様が劇場に詰めかけて満員御礼になること。大入袋はそのご祝儀の入った袋ですね。

歌舞伎のイメージ
「ドラマなどの映像表現がやっているほとんどのことは、歌舞伎に盛り込まれていると気づいたとき、歌舞伎に対するドキドキがとまらなくなった」という齋藤さん

いまでも特別な興行では、歌舞伎の幕内に大入袋が配られます。

ことの起こりは、江戸時代。お客様が満員御礼の日に蕎麦を配る習慣があったそうで、縁起をかつぐ歌舞伎らしく「(大入が)長く続くように」という思いを込めて「大入蕎麦」と呼んだそうです。明治時代には、近所の蕎麦屋の印を押した袋を劇場の頭取が配るようになり、現在では、蕎麦屋の印の代わりに小銭が入っています。

小銭が入るようになったのは、戦後からということです。

現代の大入袋は、朱色の祝儀袋に、袋からはみ出すのではないかという勢いで白地の勘亭流が踊ります。「大入」という白抜きの文字の左肩には、関係者、個々人の名前が入り、誠ににきにぎしい風情です。

大入袋をいただくと、たしかに胸熱になります。コロナ禍の、無人の客席を見た後ならなおさらです。

三方よしのご祝儀とは?

大入袋は、幕内の関係者にのみ配られるのが約束ごとですが、実はご見物のお客様も、大入を「見る」ことができます。

古風な演出のお芝居や殺し場という歌舞伎的なアクションシーンが続いた芝居の幕切れに、唐突に看板の役者さんが、空(くう)に向かって刀や太刀で文字を書くのです。

まず最初に「大」、続いて「入」、すなわち「大入」という文字を空中に書くことで、「この芝居の『大入』が叶うことを願っております」という思いを現しているのだとか。

敵と味方が入れ乱れる激しい立廻りに歯を食いしばっていたはずが、唐突に「大入叶」なんて言われるんです。チャンチャン、です。打出しの柝が鳴り響くなか、肩のちからが抜けるというか、我に返るというか、ごまかされたというか、それでいて、なんだか、風呂上がりのような気分で幕引きを見つめます

ところで、歌舞伎の舞台中央には「せり」という舞台機構があります。舞台中央がくり抜かれて、下から上へせり上がる可動式の仕掛け。15メートルほど下の奈落から板が上がってきて、はじめて舞台が平面になるのです。

舞台中央にぽっかり空いた、深くて暗い、穴。

歌舞伎の大入りのイメージ
歌舞伎の幕内に配られる大入袋。かつては蕎麦屋が入っていたが、現在は小銭が入っている(写真はイメージです)
Ned Snowman /Shutterstock.coms

舞台関係者の話では、舞台上から奈落を見下ろすと、まさに地獄の釜の蓋があいたような錯覚を覚えるそうです。「板子一枚下は地獄」ということわざを実感するとのことでした。

その板子の下から、ものによっては30キロ相当の絢爛たる衣裳をまとい艶然とほほえみながらせり上がり、一点の曇りもない照明と万雷の拍手をその身に受ける歌舞伎役者たるや。

贔屓の役者が見られた、お客様が喜んでくれた、そして、奈落の底から上がってこれた。

ご見物にも、幕内にも、そして、役者にも。「大入」とは、祝儀袋の紅白の彩りそのままに、三方よしでおめでたいことなのですね。

もしかすると、大入袋に入っているのは、蕎麦でもなく、小銭でもなく、「極楽」なのかもしれません。

次回は李正姫さんへ、バトンタッチ!

ぜひ、ご覧ください!

8月納涼歌舞伎 第一部 Web講座の解説を担当しています。
詳しくは下記ウェブサイトからご確認ください
【歌舞伎座限定】イヤホンガイド Web講座

Padcastの台本を書いています。
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史 「赤穂事件 内蔵助の流儀」1-4
詳しくは下記ウェブサイトからご確認ください
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史(赤穂事件)

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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